写経といえば般若心経。今や写経の一般的な物となった般若心経。その般若心経を写経するにあたってその意味を理解することが大切です。 般若の意味/般若心経と写経 忍者ブログ
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般若の意味
 サンスクリット語の「プラジュニャ-」がパ-リ語に訛ると「パンニャ」になります。(この訛りは自然な変移と言えます。「ジュニャ-」の「ジ」は無気音なので「ンニャ-」に近い発音です。よって、「プランニャ」と反復して「ラ」を軽く発音すると、容易に「パンニャ」になります。)
 この「パンニャ」を漢字に音写したのが「般若」です。
 この(パ-リ語訛りの)「般若」即ち(梵語の)「プラジュニャ-」とは---
<根元智、太初の叡智、太極智、本地の叡智>---という意味です。
 従来、仏教界では「般若」に対して、「無分別智」とか「知慧」とか「無分別平等観の知慧」とか「直観智」とか「真実智」とか「根本智」などの説明が為されて来ました。しかし、何故そうなのか、語源からしっかりと押さえておくべきです。
 語源から解き明かすと、(辞書には古語すぎて載っていませんが)〔※注3〕
「プラ」は「元の」とか「根っから」などの「起点」を表す接頭辞と解すべきです。そして「ジュニャ-」は「叡智」の意味。よって、
プラジュニャ-とは---<(元の、根源の)「真主体」たる「叡智」>---という意味になります。
 つまり、「自性有る存在」そのものである(生ける)「大叡智」を意味します。
 そして、伝統的に、この「プラ」にピタリと適合する仏教語が有ります。それが「本地」です!(本地垂迹説の本地です。)
 従って---<プラジュニャ- = 本地の叡智>---という翻訳が適当です。
〔「マハ-(大)」が付いた時は「本地の大叡智」と訳すこともできます。〕
 ただ、「本地の叡智」について更に考察を深めると、仏教では「空」の事を「究極真理」と言いますから、こうした用法に従えば、「本地の叡智」は「究極叡智」と呼び替えることもできます。そして、霊性修行は「究極」を求めて求道して行くもの、という「実際の修行面」が重視されなければなりませんから、その意味では---
< プラジュニャ- = 究極叡智 >---という翻訳が最適だと言えましょう。


【※注3>>---『(梵語→英語辞典)Sir Monier Monier-Williams, A Sanskrit-English Dictionary, Oxford, 1899』には、ギリシア語やラテン語のpro-、ドイツ語のvor-、英語のfore-と同語源であることが明記されていると、梵語に詳しい或る方(匿名希望)から指摘を受けました。
「前進、始まり、上昇、遍在、優先性(第一性)、高名、生起、関与」と、この語の数々の意味の派生が書かれており、例として、pitaamaha(祖父) → prapitaamaha(曽祖父)、また、prathama(第一の)という序数詞は、praの最上級から生じたとされている、とのことです。この「モニエル」辞書を空王寺でも購入しましたら、もう少し突っ込んで紹介を致します。>>>註終了】
 
(空-七-二六)
 尚、梵語の「プラ」が「根・本源・起点」を表すという古義の存在を裏付ける言葉は、幾つか残っています。中でも、最も分かり易い言葉は「プラクリティ」でしょう。
 「プラクリティ」は「始原的な形態(状態)物」の意味です。「プラクリティ」の反対語が「ヴィクリティ」で、「ヴィ」は「分かれる、派生する」意味の接頭語です(空-七-八三 以下参照)。よって、「ヴィクリティ」は始原的な形態(プラクリティ)から派生した形態物を意味します。
 この梵語の「プラ」は、後世、英語の「プロ」に引き継がれます。「プロヴィタミン」と言えば「ヴィタミンに成る前の物質」を意味しますが、プロヴィタミンの「プロ(前の)」は「変化・派生の(時間的な)川上」の意味、即ち「元の」という意味です。だから、「プロヴィタミン」で「ヴィタミンとなる、その元の物質」を意味するわけです。
 
(空-七-二七)
 最後に、「中論」で有名なナ-ガアルジュナの弟子ア-リヤデ-ヴァの後継者、ラ-フラバドラの作とされる「讃般若波羅蜜偈」は、「般若=究極叡智」のことを「抽象的静態の叡智」としてではなく、「生ける真主体大叡智」として、擬人的な呼びかけをしていることに注目して下さい。(以下、一部抜粋します)
・思慮によって捉えることはできず、はかり知ることもできない、偉大な「般若波羅蜜多」 よ、あなたに帰命し奉る。何一つ欠点なきものよ。そのようにあなたは欠点なき人々によ って観られる。
・あなたは何処からも来ないし、何処へも行かない。どのような場所においても、あなたは 賢者によっても、捉えられない。
・何一つ特徴を持たず、けがれを離れたあなたを、この世の一体誰が讃えることができまし ょうか。一切の言葉の対象領域を超えているあなたは、何にも依存なさらない。
 ---このように、「般若」を「(超越的根源神の別名としての)究極叡智」と解すると、先程の梵語表題の「ナマス サルヴァジュニャ-ヤ」についても「語尾のイ脱落説」で統一的に解釈し、「サルヴァジュニャ-ヤ」を「(生ける)一切智」と解するのも、あながち無茶な事ではない、と納得してもらえることでしょう。
 
(空-七-二八)

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